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夢の開発プロジェクトがなぜ頓挫したのか。三菱航空機の元社長の川井昭陽氏が、当時の胸中を明かしました。
川井元社長は「MU-300」の開発にも携わりました。
川井元社長:
「定石とか常道がこの世界にもあって『MU-300』(の型式証明)も日本人だけで取れたわけではなくて、経験豊富なアメリカ人の助けをいっぱい受けました。FAAから『この人はこの領域においてはFAAと同じ資格がある』ことを認定されている人がたくさんいます。その人たちの指示に従ってやっていました」
それから30年後、川井氏は三菱航空機の社長としてMRJの型式証明の取得で陣頭指揮をとることになりました。
川井元社長:
「経験がなければ経験した人を連れていく以外はないなと。当時頭に浮かんだ経験者が、ボーイングの人たちです。
FAAと対等に話ができる、あるいはFAA以上の実力を持っている人がボーイングの中のOBなんです。そういうことを経験した人を連れていくことによって、その経験を日本の中に少しでも導入したいなと思いました。彼らは1年で(ボーイング777の型式証明を)取得していますからね、初飛行から」
2014年、機体の完成を祝うロールアウト式典に川井元社長の姿がありました。この式典で川井元社長は「MRJの開発に向かって邁進していく」と意気込みを語ります。
しかしその晴れの日でさえ、量産化への道筋が見えていなかったと当時を思い返します。
川井元社長:
「『本当にできるのかな』というのは正直ずっと不安を持って過ごしていました。何から手をつけていいのか分からないような状況です」
不安の原因は、開発の現場にありました。苦労の末に招き入れたボーイングのOBたちと、三菱航空機の技術者たちとの間に、溝のようなものを感じていたと川井さんは話します。
川井元社長:
「そのすごさが教わる側が分かっていれば、ちゃんと聞くんですけど、私がいろいろなことを言っても、彼らは『自分のやり方でやります』とはっきり言うとそういう態度。その当時の技術者は“うぬぼれ”があったのではないかという気がしています。
飛行機としてはいい飛行機を造ってくれます。いわゆる履き違えていたんです。飛行機を造ることと、安全性を証明していくことは違うことなのが分かっていなかったんだと思います。やっぱり謙虚さに欠けていたところがあると思います」
開発に費やした事業費は約1兆円。結局、MRJの型式証明は申請から約15年をかけても取得することができませんでした。
川井元社長:
「完成機はもうないと私は思っています。しばらくは…。これは国家的な損失だと思います。世界における日本の地位がどんと下がりましたから」
まあ技術者のせいだけど社長がそんなこと言ったらダメだろと
責任回避と逃げの素早さは目を見張るもんがあった
カリスマ性ゼロ
「自分は傍観者、自分は権威、客観的に見れば経営は完全に全て完璧だったのに失敗した。原因は当然自分以外の何かに違いない。絶対自分は悪くない責任も取らない。」 こういうこと
そや それでFAAにバラけさせろ言われて再設計や
ボーイングOBの言うこと聞いてりゃこんなことならんかったのに
あれほんとアスペっぽいわ
FAAがなかったらあんな屁理屈みたいなのが通ってたと思うと恐ろしい
変わった会社やな
そうやで
税金を好き放題使った結果がこれや
国あっての三菱だからなw
やからって経営陣の無能さの言い訳にはならんで
財閥って一兆円損しても大丈夫なレベルなんか
大金やけど会社が傾くレベルでは決してない
引用元: <a href=”https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1693084588/” target=”_blank”>・三菱社長、1兆円かけた飛行機MRJが大失敗w「俺は悪くない技術者のせい」で炎上 </a></p>
Muchas gracias. ?Como puedo iniciar sesi…